Qiitaのポエム化へのがっかり感
Qiitaは年内にトータル50記事まで行きたいなぁと勝手に思ってて、あと1つだったので書いた。
privateなGitHub Releaseページのリリース物をcurl+jqでダウンロードするワンライナー - Qiita
QiitaのトータルのContributionも570まできた。ただ、最近Qiitaのストックがいいねになったり、アドベントカレンダーでポエムみたいなのがいっぱいいいねを集めてるのを見ると、Qiitaのいいね数と技術的な価値みたいなのはやっぱり違うし、それをエンジニアの戦闘力みたいに見せるのはなんだか違うよなぁというモヤッと感があって、最近エンジニアとしての戦闘力を上げようという文脈でのContribution数を増やすモチベーションがずいぶん下がってきた。まぁ何も知らない人から見るとQiitaのContributionはわかりやすいんだけど。
自分はどちらかというと、ぐぐってたどり着いた10人のための記事をいっぱい書きたいなぁと思ってたので、ポエム化の激しいQiitaよりも技術力のごまかしの効かないStackOverFlowに回答するとかGitHubのIssueに絡みに行くとか、そういうところに時間をかけて実績を積み上げていくほうがよいのかもしれないなぁとぼんやりと考え始めてる。英語力足んないのを場数を踏んでなんとかしたいという思いもある。
だいたい暇そうにしている
最近意識しているしょうもないことがあって、仕事で忙しそうにしているとなんだか二流っぽいので、だいたい暇そうにしている。まぁインフラ担当が忙しそうなシステムなんてロクなことないしね。最近流行りのSREエンジニアは50%以上運用の仕事をしないようにとかいうけど、目標低すぎないか?運用っぽい仕事は30%ぐらいしかしてない気もする。あいつ遊んでるんじゃないかなぁと思われても怒られないうちはまだセーフである。毎日何して遊ぼうかと悩めるぐらい身軽でいたい。
可能性を限定していくこと
最近ちょいちょいエンジニアの採用面談の面接側やってるんやけど、第二新卒みたいな子が結構来て話すたびに若いってそれだけで武器なんだなぁとかおっさん臭いことを思う。まだ将来の不確定な可能性の部分って、基本的には楽観的に見積もるからなのかもしれない。人間生まれたときは何にでも慣れたはずなのに、生きるということは何かを選んで可能性を限定していくことなのかもしれない。