海辺のカフカ

今日は一日雨やったからうちに引きこもってた。んで、前から読んでた海辺のカフカついに読み終わったー。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

今回の話は、15歳の家出少年カフカと知的障害をもった老人ナカタさんのふたつのお話が交互に進む、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド風の構成。話の展開も村上小説の王道を行ったようなかんじで、非常識なことがさも当たり前のように起こって、さも当然と言うかんじでまじめに話が展開してく。この世界観が楽しいんやけど、難解すぎて何が伝えたいのかがよくわからないというのはたぶんオレの読解力の足りなさなのが残念や。うー。海外でも翻訳されて絶賛されてるらしいんやけど、俺にはいまいち一番重要なところが読みきれてない気がする。うー10年後くらいに読み返したら発見するんやろか。作中に連発するメタファーという言葉、気になって読むのをやめて辞書引いてみたら隠喩らしい。あらゆるものがあらゆるものに対するメタファーだという言葉を深く考えれば考えるほど、頭ん中が意味わからんくなってくる。。。うーやばい。村上春樹の本を読むといつも思うんやけど、現実世界と意識の世界の境界線が非常に曖昧で、読んでるとものすごく精神が不安定になってくる気がするわ。なんかやばいものが感じられる。でもそれがなんなのかがわからんからさらに不安になる。情緒不安定。

あとTOEIC対策もぼちぼちやっとる。パート3、4が全然聞き取れへんわ。何ゆーてんのかさっぱり。今回は1,2,5,6をがんばろう(´・ω・`)
あと、うれしいことに物理の新入生から高専会の入会希望いただいた☆だって電情ばっかやもんなー今んとこ。

朱鷺からガベージコレクション使うためにはグローバル禁止だと聞いて若干ショックを受けてる今日この頃。グローバルはプログラムが走ってる間ずっと生きてるわけやからガベージコレクションの意味がないというのは容易に理解できるけど、なんで使用すらできないのか理解に苦しむ。グローバルは悪だと言われても完全に排除はできないのが実情なことを考えるとつらいなぁそれは。グローバルを見かけ上なくす技として正攻法とは思えんがとりあえず思いついた方法としてはsingletonパターンを使ってみるとかどうかなぁ↓
まず、グローバル変数を集めて1つのクラスにしてしまう。んで、コンストラクタをprivateにして、そのクラスのthisポインタを返すstaticなメンバ関数を別にインターフェイスとして作る。で、初回に呼ばれたときのみコンストラクタを呼んでstaicなメンバにthisを保存してから返し、2回目以降はコンストラクタを呼ばずに、保存しといたthisを返す。こうすることで、インスタンスはプログラム実行時に1つしか存在できなくなる。グローバル変数を参照する場合はこのインスタンスを取得するってかんじで。
ここまで書いといて思ったけど、ソースファイルが複数にまたがってグローバル変数がある場合はこれじゃ無理やな。もしくは、その仕組みを基底として作っといて、グローバル変数1つずつ、それを継承したクラスにしちゃうとか。自分で言っといて絶対めんどいから俺はやらんけど。純粋なグローバルじゃなくすだけならnamespaceでくくったらえーやんとか思うんやけど、それじゃあかんの?