地続き感

最近気になった言葉のひとつに「地続き感」がある。

自分が普段仕事で使ってるソフトウェアはだいたいOSSなので、ソースコードを読もうと思ったら読める。なのでドキュメントを読んでも挙動がわからないときは、ソースコードを見に行く。仕事ではだいたいRubyを書いてることが多いので、ライブラリとして使っているgemはソースがそのまま読める。なので、アプリケーションとライブラリが割とカジュアルにつながっている感じがある。Railsぐらい巨大なものも、なんだかんだ潜っていくことに抵抗はなくなった。ただRailsはちょっと抽象度が高すぎて、読んでもよくわからんことも多々あるが。まぁそれは慣れの問題だろう。読めると分かるはまた別の問題だ。

あと、インフラ業は最近TerraformやDockerなどをいじって遊んでるので、Goを最近かじっている。こちらはコンパイルされたバイナリなので、手元にソースコードをgit cloneしておかないといけないので、地続き感は若干薄い。ただ日常的に使っているとこんなことできたら良いのになぁというちょっとした不満みたいなのはあって、それをカジュアルに直せるようになるぐらいにはなりたいので、暇なときにちょっとずつコードを読んで、だいたいどこで何をしているかぐらいは把握したいと思って読み始めた。しかしながらそれなりのボリュームで小さなコードでもないので、まだ道のりは遠い。でもインフラレイヤでベターCとしてのGoの役割はこれから徐々に広がっていくと思うし、抵抗なくシュッと読み書きできるようにはなりたい。